スバル360の車名の由来とは?

スバル360の車名の由来とは?

クルマ造りの原点 ついに会社名に成長

 

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スバルは、古来から牡牛座の散開星団に付けられている日本語「すばる=昴」に由来。

肉眼で見える星が6つあることから、六連星(むつらぼし)とも呼ばれ、英名ではプレアデス星団(Pleiades)としても知られている。

すばるの語源は、奈良時代に髪などに付けた玉飾りを意味する「すまる」からの転成語だった。「すばる」には、〝統る〞と〝昴〞の2つの書き方があるが、「統る=統べる」は、清少納言の随筆「枕草子」にも登場する言葉で「一つにまとまる」、「集まる」を意味している。

さて、クルマにおけるスバルの名前は、1952年6月に開発がスタートし、54年2月に試作第1号が完成した小型四輪乗用車「P(Passenger)- 1」の市販に備えて車名を「すばる1500」と決めたのが最初だ。富士重工業は航空機製造に次ぐもう1つの柱として自動車事業を据えた。

初代社長の北 謙治氏は、本格的な乗用車としてP- 1の生産を推進したが、クルマの名前も日本語名とすべきという考えを持っていた。そして、名前を社内募集した結果、約1000件の案には「坂東太郎」、「パンサー」、「フェニックス」などの応募があったが、決定打がなく、社長自らの考案で「すばる1500」と決定した。

原案は「すばる=SUBAL」であった。

 

 

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世界各地に数多くの民話が語り継がれている星座のすばる。

日本でも「古事記」、「万葉集」などにその名が登場する。古くから関西方面では「すばる」、東日本は「六連星」と呼ばれてきたという。


 

 

この「すばる」という名前には、旧中島飛行機から分離した会社のうち、6社を合併して設立した富士重工業の生い立ちを表現するという意味も込めていた。

正確には1953年7月に5社が出資して航空機製造を旗印に設立された富士重工業が55年4月に出資した5社を吸収合併した。このように、「統べる」の意味合いが示すように、6社が互いに結束・融合し、大成することを願ったものであった。

しかし、名前を決定したP-1だったが、試作車が20台製作されただけで、市場動向や資金の問題もあり、量産販売をしないことになった。その代わりに発展が見込めそうな軽自動車の開発を行うことに。

 

 

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スバル360(1959年7月改良モデル)

1954年2月に完成した試作車「P-1」(写真は後期型)は航空機生産で培ったモノコックボディを採用。1.5ℓエンジ

ンは当初は富士精密工業の「FG4A」を11台に搭載し、供給中止で大宮富士工業製の「L4」を9台搭載した。「すばる(SUBARU)1500」と命名されたが、量産は見送られた。


 

 

1954年9月の法改正で軽自動車は2サイクルでも360㏄(以前は2サイクルは240㏄)が可能になった。しかも軽免許で乗れ、車検がなく、税金も安かった。

1955年12月に「K-10」のコードネームで後のスバル360のプロジェクトが正式に動き出すことになった。富士重工業発行の『スバルを生んだ技術者たち』によると、K-10の車名は、デザイナーの佐々木達三氏が上記の過去の経緯を聞き、新型車はスバル+エンジン排気量の車名を想定し、SUBARU 360のロゴマークと六連星をイメージしたエンブレムを製作した。これがオーソライズされて車名が決まった。なお、スバルの商標は1947年に出願され、他社から譲ってもらったものだった。

クルマ造りの原点である最初の四輪試作車の名前は、その思いをくんで最初の市販車「スバル360」で世に出た。その後、富士重工業の自動車のブランド名になり、世界に知られる名前に成長した。2017年4月から会社名も「SUBARU」となる。

そのさらなる飛躍に期待したい。

 

 

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スバル360は軽自動車の枠のなかで大人4人が乗れ、スペース効率を考慮して空冷2サイクル2気筒エンジンをリヤに搭載した後輪駆動車(RR)になった。


 

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