旧車再生からコース造成まで山中に潜む気骨の板金職人

旧車再生からコース造成まで山中に潜む気骨の板金職人

 

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板金に面白さを見出し、鉄板を叩いてウン十年。同じ手で重機を操り、山を切り開いてコースを2本も作った。

チューニングカー製作にも携わり、もちろん旧車再生にも積極的。

文字にすると破天荒だが、こんな板金職人がいてもいい。

 

板金に出会う

まず初めに断っておかなければならない。これから本格的な夏を迎えようとする季節に発売となる今号、ここに登場する趣味人が冬服なのは、ガマン大会の様子を撮ったからでは決してない。そもそも旧車再生趣味自体、ちょっとしたガマン大会に近いものがあるのだが、本稿はそれを自虐する場でもない。

実は半年以上前に取材を終えていたものを、今まで温めていたがゆえの結果である。勇んで取材はしたものの、あまりにスケールが大きく濃厚ゆえ、ご登場いただくにふさわしい機会をうかがっていたからにほかならない。このため周囲は冬景色で、写真もちょっと寒々しい。まあでも、夏になると草むして撮れない車両もあっただろうから、これで良かったのだと思うことにしよう。

“濃い人”のトップバッターは、広島県にお住まいの佐々木 幸昭さんだ。中国地方のクルマ好きにとっては、「タカタサーキットの社長」と言えば通りが良いかもしれない。御年73になる佐々木さん、自ら重機を操って山を切り開き、ダートコースやサーキットを開設し、旧車の蒐集と再生にも余念がない、気骨の仕事人であり趣味人でもある。

中国自動車道を高田インターで降り、県道64号線をマツダのテストコースのある三次方面に向かうと、山中に突如、目を奪われる光景が現れる。道沿いに数台の錆びついたオート三輪が擱座し、道行くクルマたちを睨みつけている。その付近が、佐々木さんが営む「ボデーショップタカタ」の勢力圏(?)だ。

佐々木さんは昭和23(1948)年1月、広島県北部に位置する高田郡(現・安芸高田市)に生まれた。実家は酪農家で、高校を出るとすぐに乳業関連の会社に就職した。ほどなくして父の具合が悪くなり、いったんは実家に戻ることになるが、これからの時代はクルマだろうと思ったのか、「丁稚」として自動車整備の世界に飛び込んだ。

世は高度成長期。中学・高校を卒業した若者は労働力としてもてはやされ、集団就職や金の卵といった言葉が使われた時代である。日本のモータリゼーションはすでに夜明けを迎えていた。雇われた整備工場にはダイハツ・フェローやマツダB360といった、急速に普及を見せた軽自動車がよく入庫してきた。

 

再就職先には整備のほか板金部門があった。入って間もない頃、先輩の職人がコツコツと鉄板を叩いているのを見て「これは面白そうだ」と思った。このことが、佐々木さんのその後を決めた最初の出来事だったのだが、無論そのときは知るよしもない。

幸いにも仕事で板金ハンマーを持つことができ、取り組んでみると実際に楽しかった。ブツけて凹んだクルマは元通りになるし、鉄板を叩いて新たにパネルを作るのは、単なる板切れに生命を吹き込むかのようだった。

叩くようになって初めて、鉄板にも違いがあるのだと気づいた。三菱コルトあたりの鉄板は叩きやすく、板金がうまくなったと錯覚させるほどだったと、当時を懐かしんで佐々木さんは言う。ちょうど自動車のボディにハイテン鋼板が使われ出した時期だから、三菱は少し採用が遅かったのかもしれない。

数年の修行ののち、27歳となった佐々木さんは生まれ育った地に板金塗装の店を開いて独立した。

 

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メインとなる作業場。鉄骨作りで天井が高く、2柱リフト、天井ホイストなどを備える。旧車再生の作業環境としては最高だろう。ここに置かれる旧車たちは、佐々木さん自身が趣味で直している車両だけでなく、請われて預かっている車両もある。


 

 

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旧車の魅力に気づくきっかけともなった、日野ルノー4CV。板金作業ののち、純正にはないペパーミントグリーンでペイント。純正色も「パリーの流行色から」をうたいカラフルな設定だった。フロントのグリル風モールは外してある。仏ルノーのノックダウンから始まった日野ルノーは、日本の道路事情に合わせてエンジン、足まわりなどが強化され、マフラーやエアクリーナーの改良も施された。

 

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フロンテクーペは現在再生作業中。ボディには腐りが見られるが修復可能。こんな再生途中の旧車が何台もある。これだけスペースが豊富だからこそできることだ。


 

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「見た目はこんなだけど」、と言いながらフロンテクーペのセルを回す。水冷3気筒は紫煙をもくもく吐き出しながら目覚めた。


 

 

周囲に広がる幻想的な光景

山の中でもできる

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当初は集落に工場を作り、日々板金や塗装に勤しんでいたが、今みたいに高性能な排気の処理装置はないし、シンナーの臭いでどうしても時々苦情が来る。そこで開業から8年ほど経って、現在の場所に移転することにした。佐々木さんが30代半ばを超えたころである。

田んぼだった土地を埋め立て、そこに新たに工場を建てた。仕事柄、飛び込みの客を期待するようなものではハナからないし、腕さえあれば山の中でも関係なく仕事はできると思った。音も臭いも気にする必要はまずない。

長年板金塗装業をしていると、時々旧車が紛れ込んでくる。果たしてこれまでに何台直したかは記憶にないものの、どこかの整備工場が手に余って預けてくる場合もあれば、趣味人が直接持ち込んでくる場合もあったという。ただ、佐々木さんが趣味として旧車に接するようになるのは、ずっと後のことになる。

自身で積極的に旧車を手がけるようになったのは、2012~’13年ごろのこと。きっかけは自社の業務内容で、旧車レストアに力を入れていこうと考えたことだった。当然それまで培ってきたスキルで十分に対応できるし、古いクルマのレストアができる体制が整っていれば、仮に現行車の事故修理などの、通常の仕事がヒマになったとしても食い繋げる。そんな思いもあった。

そして改めて旧車に触れ、思い出したのはかつての我が町の姿だった。


 

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近隣で長く使われていた消防車も引き取った。ベースは41型日産ジュニア(’65~70年)で、かつては全国的に使われていた。側面に書かれた「吉田町」は、2004年に6町が合併し、安芸高田市が発足するまで存在した高田郡吉田町のこと。「自家用」ともあるから消防団のの車両だったのか。


 

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銘板には昭和43年とある。そこから30年くらいは使われただろう。


 

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リフト上のヨタハチは預かりもの。丁稚時代から仕込まれた板金の腕で、ないものは作る。最近トラックリッドを久しぶりに1枚作ったという。「手強かったよ(笑)」。


 

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ミニカのピックアップもあった。どこかの企業カラーか。サブロクでボンネットがあるタイプのトラックは、もはや何に使うのかわからない荷台のサイズが愛おしい。


 

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旧車の定番? スバル360は何台もある。再生中のものもあれば、屋外に打ち捨てられたように置かれるものもある。屋外の車両も部品取りにはなりそうだ。

 

 

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