早わかりダットサン《小粋な銘車の遍歴》

早わかりダットサン《小粋な銘車の遍歴》

 

2021年、日産は1981年に消滅したダットサンブランドの一部復活を発表した。歴史を遡れば、それは国産小型車の原点でもある。

 

02

1932年製、ダットサン10型ロードスター(495㏄)。

 

 

外国車の攻勢に苦しむ

1904(明治37)年、山羽虎夫が初の国産車と言われる「山羽式蒸気自動車」を製作。だが試走では自作のゴムタイヤが歪んで走れなくなった。1907年に吉田真太郎と内山駒之助が米国車を手本に「タクリー号」を10台製作したが、手間とコストがかかり過ぎて頓挫。

大正期に入ると矢野倖一のアロー号、三菱造船のA型、白楊社のオートモ号など市井の発明家から大企業までが国産小型車の製作に挑戦した。今で言うベンチャー事業である。ただ技術的に欧米車の模倣はできても、実現するための資材、部品が日本には不足していた。街中を走るのはフォード、シボレー、ダッジ、オースチンばかりである。

そんな苦悶のなかでダットサンは生まれた。源流はふたつある。

1902年、農商務省の海外実習練習生としてアメリカに渡った技師・橋本増治郎は、自動車時代の到来を予見。

1911年、東京・広尾に快進社自働車工場を設立する。欧州車のボディ架装や整備・修理などを請け負いながら、国産乗用車作りを目指した。

 

1914年、日本の交通事情に合う小型用車のDAT(ダット)号を製作。エンジン(V型2気筒10馬力)まで自作した純国産の第一号車である。車名は出資者である財界有力者、田 健治郎、青山禄郎、竹内明太郎の頭文字を冠し、「脱兎のごとき機敏さ」という意味も込めた。しかし外国車とは勝負にならない。軍用保護自動車の認定を得たが、結局、快進社は解散した。

同じ頃、大阪に実用自動車製造という会社があった。米国人ウィリアム・ゴーハムが製作した三輪自動車を久保田鉄工社長らが実用化。さらに小型四輪車リラー号を製造したものの、やはり利益が出ない。そこで快進社を引き継いだダット自動車商会と合併し、ダット自動車製造となった。

1923(大正12)年に関東大震災が発生。

復興用のトラックやバスのシャシーが米国から大量に輸入された。日本の自動車市場に着目したフォードとGMは横浜にノックダウン工場を設立。こうして外国車の優位性はますます伸長していくが、ダット自動車製造は地道にクルマを作り続けた。

 

01_2

日産が保管する1932年製ダットサンフェートン(12型)。


 

 

戦後の高度成長を支える

1931(昭和6)年、日本産業と戸畑鋳物の社長・鮎川義介がダット自動車製造の株を買収して経営実権を握る。さきのウィリアム・ゴーハムは鮎川の顧問であり、ここで快進社と実用自動車製造ふたつの源流のうち、後者が色濃くなったのは明らかだった。

クルマの名称をダットソン(ダットの息子)とし、同年暮れから大阪で発売。

何台か販売したのち DATSONは損に通じるということで、SUN(太陽)に変え、DATSUN(ダットサン)とした。

戸畑鋳物自動車部が独立して日産自動車に改称。横浜工場で量産体制を確保し、販売網も整備。しかし戦雲がたれこめてくるとダットサン乗用車は製造中止となり、代わりにダットサントラックが1944年まで作られた。

 

01_1

1931年、ダットソン1号・10型フェートン(495㏄)のカタログ。直後にダットサンに改称)。


 

03

1936年製、ダットサン15型セダン(722㏄)。


 

04

1937年製、ダットサン17型セダン(722㏄)。戦前型の最終モデル。


 

戦後すぐにダットサントラックの生産が再開された。スタイルは戦中型と同じ。

乗用車は1947年から作り出すものの、これも戦時型トラックをセダンにしただけ。その反動か1948年には米国クロスレーを模したDB型を世に送り出す。

DBシリーズは改良とスタイルの変遷を重ねて7年ほど作られたが、1955年、近代的な小型車が生まれる。ダットサン110型である。

スタイル、実用性、耐久性で戦前型の技術を払拭し、同時期に登場したトヨペットクラウンとともに戦後モータリゼーションの一翼をになった。110型は210型へと進化し、再びダットサンは小型車の代名詞となった。

 

05

戦後初のダットサンセダン、スタンダードDA型(1947年)。


 

06

米国クロスレーを模したDB型(860㏄)。


 

07

1955年に登場したダットサン110型。スタイルも一新された。


 

その後のダットサンについては多言を要しないだろう。1959年に210型の後継、ブルーバード(310型)が登場。ここから日本のモータリゼーションが始まったといわれる。続く410型、510型ブルはラリーなどモータースポーツでも活躍。モータリゼーションの勃興とともに小型ファミリーセダンの決定版としてデビューしたのはサニーB10型。

ライバルのトヨタ・カローラと小型車の覇を競った。

 

1110

12代目ブルーバード(410型)はサファリラリー5年目

で初のクラス優勝。ゼッケン⑥はその実車。

 

1213

3代目ブルーバード(510型)はS30型フェアレディZとともにモータースポーツに貢献。ゼッケン④はサファリ総合優勝車。

 

 

スポーツカー

ダットサンの偉大な革新がもうひとつある。スポーツカーだ。

1952年にDC‐3型を発売。1959年にダットサンスポーツとなり、’60年にフェアレデーが登場する。そしてダットサン2000、フェアレディZで世界にスポーツカー革命を起こす。低価格ながら高性能でスタイリッシュ。この二律背反の命題をクリアしたフェアレディこそは、ダットサンブランドの面目躍如ではないだろうか。

1960年代からダットサンはこぞって海外に輸出され、外貨を稼ぎまくった。小粋な小型車は、涼しげな笑顔でまだまだ世界中を走りまわっている。

 

14

1966年デビューの初代サニー(B10型)。

1000㏄でスタートし、ベーシックカーの地位を築く。


 

15ダットサン・フェアレディはスポーツカーの概念を変えた。S30Zは輸出用のみダットサンを名乗る。


 

 

カテゴリ一覧へ戻る