失われた名店の遺跡「来れ、再生趣味人よ」
失われた名店の遺跡「来れ、再生趣味人よ」
あの名店の記憶が蘇る
ひとつの取材から次々と取材候補が飛び出した経験が何度もある。本誌でパブリカを再生する若者を紹介したページで触れたが、2009年に取材したホンダNⅢオーナーの綿引宣考さんと、今年の春に再会した。すると綿引さん、長年勤めたホンダディーラーを退職するという。
同席された軍司正勝さんとどうやら深い関係がありそう。深いといっても親交という意味で、おかしな誤解なきように。
その取材で一緒だったカメラマンから後日、とんでもない写真が届く。取材後にカメラマン氏は軍司さんが勤めるお店へ行った。するとまさにマニアの桃源郷、夢のような廃車体がズラリと並んでいたという。写真を見せてもらうと驚き、納得、廃車体街道!……ではないが、ちょっとやそっとでお目にかかれないほどの台数。改めて取材をさせていただくことになった。
ヴィンテージカートライへお邪魔すると、くだんの軍司さんと一緒に、舌好調な紳士が迎えてくれた。てっきり軍司さんが社長だと思っていたら、この方が会長で、ご子息である入江誠一さんが社長だった。社長をさておき、舌好調な会長との世間話から「ユースドカー多摩」という名前が飛び出してきた。
店舗の右が広大な展示場。ここだけ見れば1980年代。
車の専門店にも見えるが、奥のコンテナに乗るポーターが怪しい。
3台並んだ販売車両は納車時に仕上げてくれる前提の価格が提示されている。右はなんとグランドグロリアで価格応談。
ヴィンテージカートライ
こうしてみると小綺麗なショップなのだが、問題はこの右奥にある。手前に置かれたバイクも販売車両とのこと。
それは20年ほど前、東京の多摩地区から突如として茨城へ移転した旧車専門店である。実は筆者も1度、某誌の取材でお邪魔したことがあると伝えると「ああ、そうかい」と会長は笑顔を見せてくれた。じつはこの有名旧車店の従業員だったのが軍司さんなのだ。
ところがお父様が16年前に病に倒れ、店を閉店。当時、店にあった大量の在庫車の処分に従業員だった軍司さんが困っていると、入江さんが引き継ぐことになったそうだ。
GX71から奥へ行くにしたがい、クルマの状態が劣化していく。サブロク時代の軽トラが並ぶ光景に圧倒される。
左上にある日野ルノーは貴重なシングルナンバーが付いたままで書類もあるから来れ、有志。
もうほとんどカオスな状況で、手前のパブリカは部品取りにしかならないだろう。隣のバモスは剥ぎ取られた残滓か。
超絶レアなシティのマンハッタンルーフ。今ある販売車両のなかで軍司さんオススメの1台で価格応談。
展示場の左側がベース車販売コーナー。タイヤが潰れているもののGX71マークⅡは簡単に路上復帰できそうに思える。
「1台でも旧車を残したいから」
入江さんは東京の羽村市で建築業を営んでいたが、お父様の遺産を事業資金に組み入れ、新たにヴィンテージカートライとして再出発。だが従業員は軍司さんひとり。接客から販売だけでなく、自ら板金塗装や修理までこなす。当然人手が足りず、一時は心を病む寸前だった。
そのため大量にあるストックは朽ちていくばかりだが、これを部品取りや再生ベースとして販売することにした。さらに再生ベースとして手に入れたオーナーが、この店先で作業を行うことまで許してくれる。理由は「1台でも多くの旧車を残したいから」。
軍司さんに連れられ、店舗とは別にあるストックヤードを拝見する。すると、あるわあるわ、旧車の山。ざっと数えただけで100 台は超えている。しかもその多くが朽ちていくのを待つばかりの状態。確かにこれは心が傷む。そこで「部品、再生ベースとしての販売」や「店頭での作業OK」という現在のスタイルを採用したのだろう。
世の中には多くの旧車ショップがあるが、こんな販売方法は前代未聞だ。今後の展開にちょっと不安があったものの、それも払拭された。冒頭で紹介した綿引さんが入社することになったのである。ホンダディーラーで営業の経験があるうえ、自身が旧車マニア。最適な人材だろう。
今後は軍司さんと綿引さんが二人三脚で大量のストックを整理していく。とはいえ台数が台数だから、時間はかかることだろう。写真だけでも迫力満点だが、実際目にしたら世界観すら変わってしまうかもしれない。旧車の持つ、ある種病的なパワーもここで再確認したのである。
展示場からクルマで15分ほど走った場所にある工場兼ヤード。スポーツカーやサブロク以外のセダンやバンも得意。
塗装ブースに板金塗装が済んだは510ワゴンが置かれていた。ここまで作業したのも軍司さんひとりだという。
工場の裏手には廃車体の山ができ上がっていた。手前には貴重なエンジンがゴロゴロ転がっていた。
こちらは工場も何もない本当のストック置き場。S12シルビアが2台もあるほかスタリオンや初代レパードなどもあった。
スバル360とミニカ5の奥には20ソアラと、とりとめのないラインアップ。
‘80年代車もソコソコの台数がある。
屋根のある場所には貴重なフロンテバン。これならまだ十分に起こせるだろう。奥には130セドリックが2台ある。
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