日産ダットサントラック521型(1969年式)

日産ダットサントラック521型(1969年式)

 

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働きものに勲章を ダットラと足踏みミシン

「仕事からレジャーまで」とはモータリゼーション黎明期の自動車。

カタログに冠せられた常套句。まだクルマが贅沢品だった時代、1台がトラック/バンとファミリーカーを兼ねるのは普通だった。クルマが使い捨て品となった現代にあっては「過去の美談」と思いきや、そんな働きもののクルマがまだ生き残っていたのだ。

 

足踏み式は一生の宝

この店の神棚は重々しい鋳鉄で出来ている。アメリカ製のシンガーミシン、糸が右通しの戦前型だ。いや、工房にある、紙し垂での下がっていないトヨタやジューキ

の足踏み式ミシンもこの家では大事な守り神に違いない。

先代が昭和5(1930)年に創業以来、川口ミシン商会はJR常磐線石岡駅前の目抜き通りで「細々と、長々と」商いを続けている。今や関東近県で40〜50年以上前の足踏み式ミシンを修理する店はほとんどない。2代目を継ぐ川口 清さん(74歳)の確かな修理技術を頼って、全国から壊れた足踏み式ミシンが持ち込まれる。

 

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今も足踏み式ミシンのユーザーがいるとは驚きだが、「古い蔵から出てきた」、

「お婆さんがボケ防止に使いたがっている」、「インテリアと実用品を兼ねたい」などさまざま理由でその再生を希望する人がいる。今やちょっとしたブームらしく、「多いときにはウチで年間に70〜80台は直します」。

メーカーの代理店でもあるので現行品も販売・修理するが、シンプルかつ頑強な足踏み式ミシンはよほどのことがない限り修理が利く「一生ものの宝物」と言う。今の通販などで売られている安物ミシンは修理が利かない〝銭失い〟であることが多い。

足踏みミシンの故障原因は、動かさないでいたために動かなくなる「油切れ」が大半だ。「そんなミシンはニオイでわかります。使っているミシンには独特の良い香りがあるもんです」。

まずバラして部品をひとつひとつ磨き、サビを落とし、組み上げる。糸下の機械調整も腕の見せ所だ。稀にボビンケースのお釜の軸が折れていたり底が偏摩耗していることもあるが、大過なく直せる。足踏みペダルは丈夫に出来ており、ピットマンのベアリングを交換したのはこれまで1度しかない。

「部品も困りません。細々した物はまだ大阪で作っているし、ある時代のミシンはトヨタ、ナショナル、ジューキなどで共用品が多いんです」

店内には’80年代頃のミシンも再生されて置かれていたが、やはりこうしたモデルも世代により愛着を持つ人がいるという。どこかクルマの世界と似ているようだ。ただ部品供給があるという点のみはミシンのほうが恵まれている。


 

軽トラじゃダメなんだ

川口ミシン商会の店先にはいつも’69年式ダットサントラック(521型)が停まっている。川口さんが’75年に6年落ちで購入した〝自家用商用車〟だ。「昭和28年に買ったクルマが最後の三輪車で、その次がダットサンのシングルピックアップ。その次がこいつです」。子供の頃に父親がミシンを自転車に積んで運んでいたのを覚えている。フラつかないよう重い「頭」を下にして荷台に積むのだ。……なんと恵まれた世の中になったものか。

 

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「軽トラに買い替えたらと、何度か周りに言われました。でもこれがわが家の自家用車なんです。家族旅行も冠婚葬祭もこいつで行くもんで、軽トラじゃあねえ」

ダットラは5000円の月極駐車場に停めている。すぐ近所に月1万円の屋根付き駐車場があるのだが、「三輪車のときから露天置きでカバーはなし。ビリビリ破けるとかえってみっともないだろう」。

よくぞ36年間もトラックを露天置きで維持できたものだ。もしや川口さん流の〝愛車術〟があるのか?

「サビが出たらガムテープを貼って銀ラッカースプレーを吹いておきます。荷台とエンジンルームは1年に1度、安い水性ペンキで塗り替えているのでサビませんよ」

ワックスを掛けるのは年に1度だけ。

それでも仕事前には必ずボディを拭き上げてキレイにする。

「嫁いだ娘の家に遊びに行くときは特に入念にね。高速道で軽トラに抜かれるけど、関係ないよ」

気骨のミシン職人に相応しい相棒にして家族の一員、それがダットラ521型であった。


 

露天で36年保管

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愛車ダットラ521型は近所の月極駐車場に置いている。ナンバーは「茨44」で「安全のため付けた」シーマのサイドマーカー以外はまったくのオリジナル。仕事に出る前はホイールキャップまでピカピカに磨き上げる。


 

 

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リヤのアオリに赤い「SINGER」の文字が誇らしげだ。走行30万㎞、軽トラが便利なことは知っているが手放せない。

「あんたみたいに写真を撮らせてくれっていう人がときどきいますよ。そんなに珍しいかい?」。



 

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HV4気筒1299㏄のJ型エンジンは62 PS /5000 rpmの性能。荷台とエンジンルームは年に1度、水性ペンキで厚塗りしているので目立ったサビは見あたらない。エアクリーナーのナゾの配管も川口さんの手になる。水が溜まりやすくサビ穴の開いたヘッドライト上のパネルにはガムテープを貼り銀ラッカーでコーティングした。

 

古くても部品は困らない

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若い頃は東京・九段にあったジューキの販売店で修行。そののちこの店を継いだ。足踏み式のほか、同年代の動力ミシン、’ 80年代のハイテクミシンも直す。手前で布を被っているのは修理途中の’ 80年代頃のミシン。この時代の製品もまだまだ愛用者がいる。

 

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針留め、針留めバネ、糸立て棒……小さな金属部品が木箱に整理されている。こうした部品はまだ大阪で入手可能という。また革製の動力ベルト(写真右)は墨田区の工房が今も作っている。

 

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美しく再生された昭和30年代のナショナル製ミシン。当時は日立、ナショナル、フナイ、福助足袋、光洋精工などもミシンを販売。小メーカーも数多くあった。

写真は、修理を終えたミシン。戦前~昭和30年代の足踏み式ミシンに’ 80~90年代戦後のミシンが入り交じる。修理するのは家庭用が大半。

 

 

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