アメリカ帰りの初代スカイライン PRINCE SKYLINE ALSIEL-1 1960年式
アメリカ帰りの初代スカイライン PRINCE SKYLINE ALSIEL-1 1960年式
現存数台と言われる貴重な初代スカイライン1型(2灯ヘッドライト)
がアメリカから帰還した。左ハンドルの輸出仕様である。欠品欠損はあるものの、なんとしてでも復活させたい。
メーカーズプレートには「ALSIEL-1」とある。A、L、S、Iはそれぞれエンジン形式、シャシー形式、セダン、ボディ形式を示す。Eは輸出仕様でLは左ハンドルだ。
低さが命の高級小型車
スカイライン=スポーティセダンの代名詞という思い込みがある。だが1957年に登場した初代SI型は違っていた。そのコンセプトは高級小型車であり、結果的に2年前にデビューしたトヨペット・クラウンがライバルとなった。
初代スカイラインと初代クラウンには共通項がある。当時の5ナンバー規格(上限1500㏄)に盛り込んだ、アメリカ車風のクロームメッキのグリルやテールフィン、ボディサイドモール。エンジンも、ともに1500㏄4気筒OHVだ。
1952年、プリンスがプリンスセダンを世に送りだした直後の’53年5月にスカイラインの開発がスタートした。その1年後にクラウンの前身であるトヨペット・スーパーが登場。プリンスにとって新生スカイラインは、トヨタが拡大を進める1.5ℓ小型車市場に挑む、社運をかけた新型乗用車だった。
スカイラインはとにかく最先端を目指した。最新のスタイリングとは、「低さ」である。当時の国産乗用車はいずれも腰高でトラックのようだったが、新生スカイラインは車体を低くして美しさを求めた。そのためフレームはラダー式ではない、トレー式とした。これはVWビートル系と似た構造で、バックボーンフレームの下側にプレートを溶接したもの。クラウンは低床型のラダーフレームを用いていたが、腰高だったのだ。
サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン。リヤサスペンションはド・ディオンアクスルである。車体側にデフを固定して、自在継ぎ手の付いたドライブシャフトでアクスルを駆動するシステムである。デフを車体に固定するためバネ下重量が軽減されて、ロードホールディングが向上。また最低地上高も稼げるので車高を下げられる。
クラウンを始め、リヤサスペンションはリーフリジッドが一般的だった時代だから、かなり奢った足まわりである(国産車で初採用)。これらの努力でスカイラインは車高をプリンス・セダンより約100 ㎜ 低くすることに成功した(1640㎜→1536㎜)。
装備品にも「国産車初」が多い。足踏み式のウインドーウォッシャー、外気導入型ヒーター、シールドビームのヘッドライト(デラックスに装備)。その結果、価格はデラックスが120万円、スタンダードが93万円とクラウンより10万円弱高価に。その後、価格改定をしてクラウンに近づけたものの、クラウンより高いクルマであることに変わりはなかった。
かつてクラウンとスカイランがライバル同士だったとは意外であるが、スカイランはデビューの1年後に双子の兄弟車・グロリアを派生させてクラウンと向き合う。グロリアはひと足早く1900㏄エンジンを積み、量産の国産乗用車として初の3ナンバー車となった。
きっかけはフェイスブック
この初代スカイラインはアメリカ・アイダホ州の解体車ヤードに、こんな感じでストックされていた。同社のスタッフがフェイスブックに投稿。それを見た飯田さんのFB友だち(カナダ在住)が連絡をくれたのだ。
2020年6月、くだんのヤードのスタッフと連絡を取り、日本へ里帰りさせる計画が進む。アイダホ→シアトル→ロングビーチと陸送され、洋上コンテナに収まったスカイライン。
同年8月、横浜港に陸揚げされ、バラクーダの積載車に積まれたスカイライン。
ディテールを見る
国内仕様の寸法は全長4290㎜×全幅1675㎜×全高1535㎜で、この輸出仕様もほぼ同じ。サイドのボディモールとリヤサイドのゴールドエンブレムはデラックスのものだが、ダッシュに付くエンブレムはスタンダード用。DXとSTDの混成仕様といった感じだ。
事故に遭ったのか、手荒く扱われたのか左リヤドアが大きくへこんでしまっている。しかし全体にサビは少ない。
エンジンフードが折れ曲がっているものの、フロントエンドに大きな損傷はない。ムリに開けようとしたのだろうか。ナンバーが実際に登録されていたものかは不明。なおライトベゼルは生産時にクロームメッキの上からボディ色を塗装したもので、後年のオーバースプレーではない。
球切れしたらしく、シールドビームのヘッドライトはウェスティングハウス製に交換されていた。
左ハンドルの初代スカイラインである。シートはフレーム、当時の表皮が残っていた。スピードメーターはマイル表示でマキシマムは90MHP(144㎞/h)。
直列4気筒OHVエンジンは1484㏄のGA-4型(70PS)。輸出用にはこの1484ccのGA-4型と1862ccのGB-30型の2種類のエンジンが載せられていたようだ。国内仕様でGB-30型が積まれるのはグロリア1型から。バルクヘッド側に並ぶペンキの缶のようなものはブレーキとクラッチのマスターシリンダー。樹脂の耐久性が低かったため金属が用いられた。
もう1台、アメリカで眠っていた
初代クラウンは今もそこそこの数が現存している。当時のナンバーを付けて現役で走っている個体もある。
ところが初代スカイラインは事情が異なる。初代の1型(2灯式ヘッドライト)の現存車は6台くらいではないか、と旧車ショップ「バラクーダ」のオーナー、飯田浩士さんは言う。
なぜ飯田さんがその数を把握できるのかと言えば、そのうち3台は飯田さんが所有しているからだ(しかも兄弟車のグロリアも持っている)。
3台目は2020年、世が新型コロナで揺れるその最中にアメリカはアイダホ州からやって来た。きっかけはフェイスブック。アイダホの解体ヤードスタッフが「こんな珍しいクルマもあるよ」とFacebookに投稿。それを見た飯田さんのFB友だち(カナダ在住)が連絡をくれたのだ。
はるか彼方の外国のヤードで、タイヤを外され置かれているスカイライン。矢も盾もたまらずにヤードスタッフに連絡を取った。交渉の結果、早々に段取りを付けて日本へ里帰りさせることに。スカイラインはアイダホからワシントン州シアトルを経由してカリフォルニア州ロングビーチへ陸送し、そこから船で橫浜へ。横浜港に到着したのは同年8月だった。
フェイスブックでの出会いから、わずか2カ月余りである。
じつは飯田さん、’14年にも北米仕様の初代スカイライン(’60年式)をオレゴン州から里帰りさせている。アイダホ車と同じ’60年式のALSIEL-1型だ。現在、このクルマはエンジンのオーバーホールを終え、あとは板金塗装や内装製作を残すのみとなった。オレゴン車のレストアが途中の段階で、次のアイダホ車がやって来たというわけだが、飯田さんは満足げである。
プリンスのスカイラインが大好きで、その姿を追い求めてきた。「スタイリングに隙がないんです。和洋折衷だけど、見事にオリジナルのスタイルにしている。いかにもこだわり抜いて作ったという職人魂を感じますよね」。
初代1型は幻に近い存在である。なぜ数えるほどしか残っていないのか。車両価格が高価だったため生産台数が少なかった。トレー式フレームがサビやすかった。プリンスが日産と合併したことで補修部品が出なくなった……など理由はいくつか考えられる。そしてその貴重な生き残りが、北米で2台も眠っていた。乾燥した気候が幸いしたのだろうか。しかし解体ヤードに置かれたままだ。初代スカイライン好きとして、なんとか救いたかったのである。
プリンスが作った〝究極の小型車〟初代スカイライン。その流麗なる走りを、1日も早く見てみたいものだ。
小ぶりのテールフィンが愛らしいリヤエンド。
デラックス用のゴールドエンブレムが付くものの、バックアップランプは付いていない。ダッシュボードにラジオ、時計は備わらないスタンダードな室内。エンブレムもスタンダード用。フィラーキャップは初代スカイランからリヤウインドー左下と決まっていた。輸出仕様はキー無しのクロームメッキ仕上げ。
もう1台の輸出用スカイライン
飯田さんは2014年にも輸出仕様の初代スカイラインをアメリカ・オレゴン州から里帰りさせている。
同じく‘60年式のALSIEL-1型だ。’60年に輸出されサンフランシスコに上陸。その後、オレゴンの中古車店に売りに出された。薄いピンクの塗色はオリジナル。
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