夢のエンジン”を搭載した気鋭のマシン コスモスポーツ

極東の島国の地方メーカーの意地が、日本の持つ技術力を世界に見せつけた

 

cosmosports-03

撮影車両は後期型L10B。ロータリー車マニアである髙木弘重さんが所有する3台のうちの1台である。コンディション良くすぐに走り出せる状態にあり、イベントなどにも積極的に参加している。

 

コスモスポーツというクルマにはただならぬ存在感がある。戦後の焼け跡から立ち上がり、ロータリーエンジン(RE)という、海の物とも山の物ともつかない“発明品”に社運を賭けたマツダの、これは勲章というより碑のように思える。

戦中戦後を通じてオート三輪のトップメーカーとして君臨してきたマツダ(東洋工業)。だが1960年代になり、マツダ=三輪トラックというイメージを払拭すべき時が来ていた。トヨタ、日産に対抗できる先進の技術が求められていたのだ。

そこで’61年、イメージアップを標榜してNSUとロータリーエンジンの技術提携にこぎ付ける。

だがドイツから送られて来た小さなバンケルエンジンは不完全なものだった。

技術指導を請うものの、当のNSUもアペックスシールとハウジングの摩擦によって生じるチャターマーク(悪魔の爪痕)、不完全なガスシールの問題を解決していない。むしろ同社はREの開発そのものよりも、その基礎技術のライセンシー募集に熱心だった。

この事実が明るみになるとRE開発は矢面に立たされる。社内からは完成見込みのないプロジェクトへの疑問が起こり、社外の大学・研究所からも実現不可能と批判された。しかし山本健一率いるRE研究部は問題を着実に解決していく。’63年8月にはRE専用車・コスモスポーツのプロトタイプが誕生。この試作1号機である3連ワイパーのクルマを松田恒次社長が’63年の第10回全日本自動車ショーの会場に乗り付け、話題をさらった。

 

cosmosports-04

’64年の第11回東京モーターショーで2次試作車がデビューし、車名は「MAZDACOSMO」となった。’66年の第13回東京モーターショーでは市販モデルに近い「MAZDA COSMO SPORTS」が展示され、翌’67年5月、ついにロータリーエンジンを搭載したスポーツカー「MAZDACOSMO SPORT」の販売が開始された。

コスモスポーツには前期型L10A(’67年5月〜’68年6月)と後期型L10B(’68年7月〜)が存在する。


 

cosmosports-05

外観上の大きな相違はフロントバンパー下のラジエターグリルで、前期が水平のスリット型であるのに対し後期ではアンダーカウルまで大きく切り欠いた、走行風を積極的に取り入れるデザインになった。また高速走行時の安定性を向上させるため、後期型はホイールベースが150㎜も延長されている。全長は後期型のほうが10㎜短いので、前期型のリヤオーバーハングの長さが際立って見える。これと同時に足まわりも強化されている。ホイール径は14インチから15インチにされ、ブレーキにはサーボ装置が付加された。

エンジンは同じ10A型2ローター・982ccだが、前期が110ps/7000rpmなのに対し後期はポート形状の変更などにより128ps/7000rpmへ強化。


 

これにより最高速度は185㎞/hから200㎞/hに、ゼロヨン加速の数値は16.3秒から15.8秒へと短縮している。

’72年まで生産されたコスモスポーツの生産台数は1200台とも1800台とも言われる。デビュー時の価格は148万円でフェアレディ2000(SR311)が81万円、

クラウンスーパーDXが112万円だったから、かなりの高額車だった。ただし238万円のトヨタ2000GTや172万円のいすゞ117クーペよりは安価。斬新なスタイリングに新機軸のロータリーエンジン

を積んだコスモスポーツは、マツダが「自動車の未来」を多くの人と分かち合うべく世に送り出したドリームカーだった。

 

P8-さしかえ写真B-01-27--DSC_5510のコピー

コスモスポーツは市販1年ほど前にテスト用として60台の試作車(社外委託試験車)がハンドメイドで製作された。車台番号は4ケタ(市販車は5ケタ)で、’66年1月からモニター車として貸し出された(多くはマツダ関係者、または大学など)。60台の試作車は北は北海道、南は九州を走りまわり’66年12月のテスト終了時に回収。分解検査ののちほとんどが解体された。これはマツダが保管する貴重な社外委託試験車の1台だ。


 

C1_s

’67年のデビュー後1年ほどしか作られなかった前期型L10Aは、ホイールベースが後期型より150㎜も短い。

またフロントバンパー下のラジエターグリルは水平のスリット型。フロントサイドのウインカーは丸型(後期型は横長)。ホイールは14インチ(後期型は15インチ)だ。上掲の後期型と比べると違いがよくわかる。


 

後期型コスモスポーツの10A型エンジン。491㏄×2ローターでキャブはストロングバーグ型4バレル。排気量は前期型と同じだがポートタイミングの変更などで110ps/7000rpmから128ps/7000rpmへ強化された。プラグは1ローターあたり2本。REは混合気を圧縮しながらローターが移動するため低温時にかぶる恐れがあるためだ。デスビはツイン。現車はコイル、プラグコードに強化品を使用。


 

cosmosports-10cosmosports-11

 

極めてレアな輸出仕様 MAZDA 110S

cosmosports-16

数年前、コスモスポーツに世界が注目する出来事があった。米国エンタメ界の大御所にしてカーマニアであるジェイ・レノ(Jay Leno)氏がコスモを手に入れたのだ。ただメディアは車名を「MazdaCosmo 110S」と紹介。はて? コスモスポーツ輸出仕様の名称は「Mazda110S」が正しい。

 

彼のコスモを見るとエンブレムが「Cosmo」、テールもワンテール。’71年に米軍属が持ち帰ったというから実は日本仕様のようだ。「110S」としたのは彼のこだわりか。その意味でも髙木さんの110Sは希少だ。内外装のエンブレム、アンバーのリヤウインカー、車体の打刻からも本物の110Sとわかる。


 

cosmosports-17

110Sには謎が多い。前記の特徴以外はほぼ国内仕様と同じ(右ハンドル、㎞表示の速度メーター)。一説に後期ボディ+後期エンジン+前期ミッションとの見方もあるが、当時のカタログから国内仕様と同じく前期・後期があることがわかった。また輸出仕様ということで、その過渡的な仕様も存在。髙木さんの愛車もそんな歴史的な価値を持つ車両である。


 

cosmosports-19

エンジンは後期型L10B用が搭載されているが、ミッションは4速の前期L10A用が組み合わされていた。

後期エンジンであれば128psのはずだが車名は110Sのまま。


 

cosmosports-22

ステアリングはナルディではなくマツダ製。

右ハンドルかつ、メーターがマイルではなくキロ表示。仕向地は不明とのこと(豪州?)。

 

 

カテゴリ一覧へ戻る