正体不明の和製ウニモグ 三菱2W400(1966年式)

特別なオンリーワン

正体不明の和製ウニモグ 三菱2W400(1966年式)

 

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ここまで資料の乏しいクルマは例がない。メーカー自身がその事実を封印したかのように、社史にすらも見あたらないのだ。そんな四駆車を「たまたま買ってしまい」、望まずして孤高のマニアとなった方がいる。

 

同世代のクルマが欲しくて

フォークリフトや農薬散布車にも立派なカタログがある。白バイやパトカーにだってパンフレットが存在する。この世に生を受けた工業製品なら、特注品でもない限り、宣伝広報用のカタログやチラシが作られる。

ところが三菱2W400に、そんなモノは一切無い。オーナーの池原智彦さんがやっと見つけたのは、北海道のディーラーに眠っていたパーツリストのコピーだけ。三菱自動車社史にも「2W400」の文字は無かった。

察しの良い読者ならそれも然りとうなずくだろう。この四駆は明らかにメルセデスベンツの多用途作業車・ウニモグ411の模倣。三菱が’50〜60年代に同社と技術提携していないことを考えれば、「作った」というより「作っちゃった」可能性が高い。しかも前後サスを板バネにしたうえ(ウニモグはコイルスプリング)キャンターの部品を多用するなど涙ぐましいコストダウンが見られる。

’60年代ニッポンのモーレツぶりが偲ばれる珍車だ。

 

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’62年、ウエスタン自動車により輸入されたウニモグ404(ガソリン)と411(ディーゼル)の日本語カタログ

( 高原書店提供)。2W400はこの411をモデルにしたと思われる。411の生産開始は’56年。


 

私も気にしてはいたが、「三菱が試作した特殊車両の残骸」くらいの認識だった。だから3年前、池原さんから〝こんな書無し車を手に入れました。素性を教えて下さい〟というメールをもらったときも〝希少車ですが、しょせんウニモグのマネッ子です。町内の道路掃除にでも使って下さい〟と、いつものように冷たい返事を書いた。

池原さん、これがよほど悔しかったのだろう。奮起して再生に取り組み、1年後には堂々「1ナンバー」を取得。〝そんなにひどいクルマなのか、実物を見て〟と逆襲メールをくれたのだ。そこで同車が出展されたイベント会場に赴くと、和製ウニモグは黒山の人だかり。池原さんは質問攻めである。すでにいくつかのイベントでタテやらカップをせしめた人気車だ。

「たまたま手に入れた作業車がこんなにウケるとは思いませんでした」

2ストジムニーを乗り継いではいたが、コアな四駆マニアではない。2W400はネットオークションで衝動買いしたクルマだった。

「古いクルマが欲しかったんです。若い頃はポンコツのライフに乗ってたから、もっと古い、自分と同世代のクルマがいいと」。第一候補はヨタハチだった。ところがネットオークションで見かけたこの奇妙なクルマに心奪われ、「気が付いたら落としてた」。

オーナーは兵庫県北部のスキー場で休憩施設を営む老夫婦。’76年、建設省姫路工事事務所から払い下げられた2W400を、業者を通じて購入。

30年ほど除雪車として自ら運転してきたが、80歳近くなって扱い切れなくなり、愛着はあるものの売りに出した。当初はナンバーが付いていたが「田舎じゃいらん」と書類もろとも業者にくれてしまったらしい。

 

’04年の始めまで除雪に使っていただけあって、バッテリーをつなぐとエンジンはすぐかかった。3時間かけて排土板を外すと、オーナーは手際よく運転して積載車の荷台を登った。

「こいつは馬力があるよ」。別れ際まで、老オーナーは自慢げだった。

 

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「兵庫車」と「岐阜車」2台を1台にまとめて完成した2W400。荷箱の看板書き「レストイン平」は兵庫県北部のスキー場で使われていたなごり。

全長は3905㎜でデミオと同等、幅1735㎜は現行RAV4と同じ。ただし全高は2260㎜ある。タイヤサイズは10-18-6PR。希望ナンバーの「2400」。イベントでは2と4の間に小さくWの文字を書き込む。現車は前期型で、後期型は車台番号160番以降が該当し、ライト下のウインカーがライト上に移動、ドアウインドーサッシが丸みを帯びる。


 

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エンジンフードは不似合いなメッキのボタンを押して開く。左側にエアクリーナー、右側に電装品。機械式レギュレーターはトランジスタ式に交換、フューズもやや新しいタイプになっている。ラジエターは縦長の専用品。左下から生えている油圧配管はフロントPTO用。ライトは車検時、シールドタイプからハロゲンバルブに変更した。

 

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中央のカバーを外して現れる4DQ1型1998㏄OHVディーゼルエンジン(’63年登場のキャンターから流用)。狭いキャビンに突き出たディーゼルエンジンは、夏場の地獄絵図を容易に想い描かせる。足元にベンチレーターが備わるが、常用速度を思えば気休め程度。

 

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屈辱的に狭いキャビンは当時の日本人サイズか。センベイシートの座り心地も推して知るべし。計器類には同時代のジープからの流用品も見える。ハンドル横の2本レバーは油圧バルブ用。ダッシュボード中央には(ステアリングの影になるが)ハンドスロットルレバーが備わる。シフトレバーの下、フロアに生えるレバーは、手前からセンターブレーキ、ハイ・ロー切替、デフロック。つまんで上下させるドアウインドーは後期型でレギュレーター付きに改善された。


 

歴史の生き証人

それにしてもこのクルマは何者だろう? 三菱自動車社史にいっさい記述はないが、当時の資料をつなぎ合わせればある程度の「推測」はできる。

三菱といえば軍用車のイメージが強いが、戦前から特殊用途車も多く手がけている。大正末期から昭和初期にかけては散水車やダンプトラックを輸入シャシー、商工省標準型式自動車に架装して製作している。

ことに戦後は、GHQ通達命令で’48(昭和23)年から従事した「ロールアップ作戦」が同社の全輪駆動技術を向上させた。ロールアップ作戦とは、大戦中に米軍が太平洋の島々や東南アジアに置き捨てた軍用車を回収し、日本で再生修理ののち

援助国に供する事業。これで多くのジープやウエポンキャリアを修理した三菱は全輪駆動車に精通。

 

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’51年、川崎製作所にてダッジウエポンキャリアを模したW11型6×6・4tレッカーを開発し、警察予備隊が使っていた米軍払い下げ車両の国産化に応えた。国土復興に全輪駆動トラックは不可欠だったのである。この「W」はウエポンキャリアの頭文字と思われるが、以降〝W車〟は全輪駆動作業トラックを意味した。W13トラッククレーン、W14トラックトラクタ、W21DS除雪車などが警察予備隊、建設会社に納入された。

’50年代後半には名神高速、東海道新幹線と大型プロジェクトが次々と始動。東京オリンピックを前にした開発ラッシュで多くのW車が企画された。

さらに黒四ダム完成(’63年)前後から、各地で空前のダム建設ブームが起きている。ウニモグと同性能の国産多用途車の開発が〝要請〟された可能性は高い。2W400は’66〜68年に200台弱が製造され、その多くが建設省管轄下に配備された。もしこれが〝発注品〟ならば、カタログなど不要ということになる。……あくまでも推測だが。

2W400という名称も意味不明だ。’63年、三菱は3重工合弁を前に型式名称を整理し、W車系は6W(6×6)、4W(6×4)とした。これにならえば2Wは二輪駆動となる。当初はキャンターの特装車として企画されたのだろうか?

……さて、池原さんのレストア記に話を戻そう。2W400を往復14時間かけて持ち帰ったものの、ナンバーの取れる見込みは薄い。ならば新小型特殊車として登録しようと悟ったのだが、その1年後、岐阜で書類付きの同型車が売りに出た。ボディの程度は良くないが「99」ナンバー(大型特殊)が付いている。これに兵庫車のボディを架装すれば……。即、購入し、顔なじみの静岡いすゞ藤枝営業所に持ち込んだ。

まず2台のボディを降ろしてエンジン、ブレーキ、配線と作業を進める。マスターシリンダーは九州の業者に再生してもらい、シリンダーカップはミニカ用を流用。特異なパワステ用油圧シリンダーはフォークリフト屋が直した。デフのシールは自作。ブレーキマスターのリザーバータンクと燃料フィルターはいすゞ用が使えた。池原さんは仕事を終えるといすゞに直行。ときには夜10時まで作業に没頭しメカたちをあきれさせた。

問題は再登録である。9ナンバーでは重い作業機を装備せねばならず、1ナンバーに変更したい。地元の陸事に現車を持ち込んで相談すると「1→9はよくあるが、9→1は前例がない」と即答拒否。

3週間後に「登録可能」の判断が出た(陸事で〝前例〟が生まれるにはこれくらいはかかる)。9→1への変更で必要な装備はサイドバンパー、リヤバンパー、ハザードランプ、デフロスター程度。

ただ過去に大特で登録されていたためリサイクル券リストに記録がなく、予備検査が必要だった。

昨年6月に車検を取って以来、とにかくよく乗り回す。これでコンビニに行くし、仕事にも使う。ちなみに池原さんは資源回収会社の社長さん。ヤードに入ってきた缶やペットボトルの大袋をこれで運ぶのだ。

かつての使い捨て消費社会、高度経済成長時代の申し子である四輪駆動車。そいつがリサイクルヤードをちょこまか走る姿は、ちょっと感慨深い。

 

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結局2台とも再生04年4月に兵庫の老夫婦から譲り受けた「クサリは少ないが書類のない2W400」(右)と’05年3月に岐阜で手に入れた「ボディはボロだが書類のある」2W400。これをニコイチにした。

書類車にボディを移植する前に、エンジン、パワステ、足まわりを整備する。エンジンはウォーターポンプの交換くらいで済だが、案外やっかいだったのはブレーキマスターシリンダーの再生とパワステユニットのシール交換。下の写真は再生したホイールシリンダーをブレーキドラムに組んだ所。ハブリダクションの構造がわかる。

 

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部品取り用だった兵庫車だが、これも再生して新小型特殊自動車として登録する予定(車検は不要だが大特免許が必要)。

作業はなじみのいすゞトラック整備工場で。後方のスバルはたまたま入庫していたクルマ。


 

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