希少車を求めた愛好家の軌跡 日産プリンスグロリア(1962年式)ほか

希少車を求めた愛好家の軌跡 日産プリンスグロリア(1962年式)ほか

 

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希少車を求めた愛好家の軌跡 ガレージは私のオモチャ箱

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「レア車」という言葉などなかった40年近く前から「珍しいクルマ」に憑かれていた人たちはいる。その代表格の一人が三重県在住の山下正継さんだろう。自ら「もうクルマはいいです」と減速宣言をしつつも、掘り出し物の話を聞くと目を輝かせる。そんな山下さんのガレージを拝見し、クルマ人生を語っていただいた。

 

RS31が2、3万円の頃

まず読者諸兄は上の写真を見て何を思うだろうか。黒い’62年式プリンスグロリアが横付けした建物は市民文化会館でも交通博物館でもない。山下正継さんの個人ガレージである。1階だけで100坪弱の広さを持つ広い車庫だが、内部を見ない限りクルマが保管されているとはわからない。ただの倉庫でないことを示すのは実寸よりやや小さいSLのウッドモデルと、防犯用の鉄筋が組まれたサンルームの奥に覗く、やはり木製の巨大なタイタニック号くらいだが、その奥に何があるのかは想像もつかない。

「山下さんのガレージでしょ。たしかダットサンがたくさんあったよね。戦前型フェートンとかスポーツDC -3とか」。

そう言うのは過去にこのガレージを訪ねた愛好家。しかしもう山下さんは1台のダットサン号もDC -3型も持っていない。かつては屋外のヤードも含め100台以上の旧車を所有していたというが、ここ数年でグッと数を減らし30〜40台まで圧縮した。そして口癖のように、「もうこれくらいでいいんとちゃいますか」と〝減速宣言〟をする。

 

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つまり私の取材自体、山下さんの最盛期を逃した「乗り遅れ」なのだが、それすらご当人は口惜しがる様子がない。「やりたいだけやり楽しむだけ楽しんだから、どうぞ何でも聞いてください」とでも言うようにえらくサバサバしているのだ。

旧車愛好家をタイプ別に分けるのは失礼なことだが、山下さんはただクルマを集めるだけのコレクターではない。朽ちかけた希少車を発掘して再生し、それを世に出すことで喜びを得てきた(そのために専業の板金職人すら雇っていた)。

そうして山下さんが掘り起こしたクルマはイベントで必ず話題となり、旧車好きを元気づける。私も感謝しなければならないひとりだ。このガレージを経て他の愛好家に渡ったさまざまなレア車を、そうとは知らずに取材させてもらっているはずだから。


 

’73年頃に運転免許を取得して以来の旧車人生というから、自動車愛好家の第3世代である。第一世代は終戦直後に浜徳太郎氏が興した戦前車の救済と再評価を手本に、クラシックカーという概念を確立した先達たち。

’60年代に入り廉価な軽自動車や小型車が発売されると富裕層からマイカー族が生まれる。そして’70年代、マイカー族が乗りツブしたクルマが中古車として出回り、学生でもアルバイトをすれば買えるようになった。初めて、クルマを身近な道具として使う第3世代のクルマ好きが登場する。

この時代のクルマ趣味人は複雑である。

’50年代のクラシックカー愛好家は、戦前の古典美を鑑賞し、その美意識を未来のクルマに還元しえる希望があった。’60年代はただただマイカーに憧れた。

ところが’70年代はそれまで夢と希望の象徴だったクルマが公害と交通事故をもたらす悪鬼のごとく言われた時代。意匠をこらした新型車が次々とデビューし、古くなったクルマはスクラップにされる。

いまより世の流れは目まぐるしく、古いモノを愛でる趣向もあまりなかった。そんな時代に山下さんは免許を取り、中古車を買って走り出した。

「免許を取って近所の友人からマツダR360クーペを購入しましたが、すぐクラウンRS

31を買い、足代わりに乗ってました。古いクルマのほうがカッコいい。

当時は観音開きクラウンが車検が付いて2〜3万円で買えたんです」

これが山下さんの旧車事始めだった。

 

今、減らしてます・・・

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以前は100台近くのコレクターズアイテムを所有していたが、現在は屋内保管庫に30台ほどが入るのみ(中には友人の預かり物もある)。ただし絞りに絞った結果ではなく、「まだ減らしていきます。動かせるクルマは動かしたい。出し入れがしやすいようにね。このダイハツ三輪、誰かいらんかな」。土地柄かトヨタ車が多いが、若い頃はダットサン一筋だった。国産商用車の背後に戦前期のロールスやデイムラーが並ぶのが山下さんらしい。2台の1935年製ロールスロイス20/25(フーパー、マリナーボディ)はかつて愛用したクルマ。(なお、このガレージは一般公開していない)。

 

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ガレージに掛けられた大きな絵は出入りしていた板金職人・杉谷さんの作でダットサンをモチーフにしたものが多い。その下に並ぶのは昭和30年代製と思われるかき氷機。一見、同じように見えるがひとつひとつデザインが微妙に異なる鋳物の工芸品だ。


 

 

羽根が少しあればいい

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山下さんが「最後に残す国産車」の筆頭に挙げるのがプリンス自工のクルマである。黒い‘62年式グロリアとともに気に入っている‘65年式スカイラインスーパー・デラックス(S21D-4型)は実動状態。同車は‘62年9 月、S40Dグロリア発売に合わせてマイナーチェンジしたモデル。旧グロリアと共通のスタイルからフロントエンドのみフラットデッキに変更したが、グロリアのようなフルチェンジは行わず、1年後に登場するS 50系スカイラインのつなぎ役だったため残存数は少ない。

 

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かつてのガレージ風景。小さな羽根を付けたクルマばかり並ぶ。「プリンスの羽だけは少し残しておきたい」。


 

 

トラック好き

数年前にレストアしたトヨペットSB型トラック。キャビンの木骨フレームから作り直しS型エンジンもオーバーホールを終え自走状態にある。

昭和22(‘47)~26(‘51)年に販売されたトヨペットトラック(トヨタの小型トラック)の始祖でのちにSG、RKと発展。積載量1t。奥に見えるのも再生ベースのSB型である。

 

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古いトラックがお好きである。古いといっても戦前、戦中、終戦直後が興味の対象。‘60年代製は乗用ベースのピックアップに限ったがこのトヨペット・ライトスタウトは例外か。同車はスタウトの弟分でダットサントラックの対抗馬。

エンジンは小さな2R型1500㏄を積みホイールはスタウトの6穴15インチから5 穴13インチに変更。乗用車的乗り心地を出すためフロントサスをウイッシュボーンとしマスターラインとスタウトの中間車種に仕立てたが販売振るわず「レア車」となった。

 

夢を追う

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映画『馬鹿が戦車でやってくる』(‘62年東映)でハナ肇が暴走する「馬鹿タンク」そのものである。まわりまわって山下さんのもとにやってきたが、今はまた別の愛好家の所に渡ろうとしている。

 

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「オークションに出ていたので買ってしまいました」。とある自治体の青年会が祭りの山車として製作したもので、ベニヤ板と発泡スチロールで出来ている。蒸気機関車は全長12m、高さ2 . 7 m。タイタニックも端から端まで10m 近くある。


 

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現在、山下さんが熱中しているクルマがこれ。手前は子供用の縮小サイズだが奥には組み立て前のホンモノがある。


 

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1920年 代 か ら国内に輸入されていたアベリートラクター( 米国)。現車は蒸気機関から内燃機関に変わって間もない時代のものというが製造年は不明。


 

 

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