存在感は吉永小百合級 117クーペ
ショーモデルでは「117 スポーツ」と呼んだが市販車では「117 クーペ」に改称。
純粋に走りを楽しむスポーツカーではなく、実用性も兼ね備えた高級4 座クーペをアピールしている。
ジウジアーロ・マジック
いまだかつてここまで人の心を引きつけるクルマはあっただろうか。
美しさと気品、どれをとってもまったく非の打ち所がない女優のようなクルマ、それが117クーペである。
女優でいえば、吉永小百合さん級のクルマと言えようか。
デザイナーはご存じイタリア人のジョルジェット・ジウジアーロである。
海外のモーターショー取材で生で見たことがあるが、背が高く白髪の紳士、当時75歳(現在81歳)を過ぎても存在感、オーラを発散していた。その凄さはもはや説明するまでもないだろう。
初代ゴルフやパサート、マセラティ・ギブリ、フィアット・パンダ、デロリアン、アルシオーネSVX、いすゞではピアッツァ、FFジェミニなど数え上げればきりがない。
その他公表されていないが、数々のモデルでデザインの案出し段階でも提案しているようだ。
このように日本はもとより、世界的に見ても最も有名なカーデザイナーであるといえよう。
そして、ジウジアーロはデザイン力に優れているだけではなく、提案上手であるといわれている。
日産マーチは企画自体がジウジアーロの提案から生まれたほどである。
仕事の進め方を含めて、日本人とも馬が合うようだ。
こうした片鱗は117 クーペのときにすでに現れていたのかもしれない。
前項でフローリアンのデザインをギア社に依頼したことに触れたが、
’66年にギア社に入社したジウジアーロはフローリアンに目をつける。
欧州ではセダンのバリエーション車種として、カロッツェリアがデザインした独自のボディを被せることがあったが、
これにならってスポーティモデルを提案してきたのである。
いすゞからの依頼はまったくなく、自主的な申し出だった。
そのため、いすゞはベレット1600 GT用を加工したシャシーを日本から送ったという。
こうして出来上がったコンセプトカーは「ギア-いすゞ117 スポルト」として’66年3月のジュネーブショーにギア社のブースから出展。公開されるや話題をさらい、さらに7月のイタリア国際自動車エレガンス・コンクールで名誉大賞を受賞し、世界的な評価を得た。デザインの素晴らしさとこうした栄誉もあり、いすゞ首脳陣は生産化に踏み切る。
首脳陣もすっかりこのクルマのとりこになってしまったのだった。
市販化の目的はあくまでも新型セダン117の販売をアシストすることにあったという。
メーター周囲には木目パネルを貼っているがウオールナットではなく台湾楠をチョイス。
高級感を出すことが目的だった。メーターは220㎞/h スケール。
全座席にヘッドレストとシートベルトを装備。前席は3点式。
4人乗車できるというのが車両のキャラクターを左右する重要なポイントだ。
117 クーペのレンダリングのうちの1枚。実際の大きさは幅40㎝ほどだという。
右下は’66 年3 月のジュネーブショーに出展されたギアいすゞ117 スポルト。
生産化の際には評判になったこのショーカーと寸分違わぬ内容で造れというオーダーだったという。
タイヤは6.45H-14-4PR。1.6ℓの「117 クーペ」と「117クーペEC」のみシンプルなホイールキャップを装着している。
ハンドメイドの初期モデルのみ金属の台座付きのサイドマーカーを装着。
コストダウンで通常の形状に改められたようだ。
唐獅子のマークはジウジアーロからの提案。
いすゞ社員が日本からの手土産品として持参した唐獅子の置物をモチーフに製作した。
ボディサイドに付くエンブレム。下側の唐獅子は左右でデザインが異なり顔が車両前方に向く。
取材車は運転席側だがあえて左側用のものを装着。
1.6ℓ直4DOHCのG161W型を搭載。
ソレックス・ダブルチョーク式キャブレターを2個搭載。120psで0-400m加速は16.8秒。
取材車両は’69 年式で、ハンドメイド仕様のうちの初期タイプにあたる。
温風式リヤデフォッガーを装備
(’69 年10 月の改良後は熱線式に変更)。
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