ただでさえ珍しいプリンス・スカイライン、 その北米仕様を見る

日産車をはじめとして、メーカー製廃のパーツを独自のルートで入手、提供してくれるバラクーダ。
代表の飯田さんはプリンス車の愛好家として有名だが、そんな彼が自分の旧車人生の集大成として 初代スカイラインの北米仕様車を再生するという。
完成目標は、スカイライン生誕 60周年(2017年)だ。

 

バラクーダ

 

 

プリンスモータリストクラブとは?

 

飯田さんが広報を担当するプリンスモータリストクラブ。
同クラブはもともと ’57年に設立されたメーカー主導のもの。
その後、長きに渡り休眠状態だったが、
’13年10月にプリンス車の熱狂的なファンが中心となり再結成を果たしたのだ。
会員はプリンス車のファンで構成され、各地のイベント参加を中心に活動を行っている。


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ただでさえ珍しいプリンス・スカイライン、 その北米仕様を見る

’60年型のALSIEL- 1。
A= エンジンの形式(1500 cc、B は 1900cc)
L はシャシー形式
S =セダン
I =ボディ形式
E= 輸出仕様
L =左ハンドル の意味。

 

 

プリンス車の輸出について

プリンスの海外進出は’ 55年までさかのぼることができるが、
当時は生産規模が月産 500 台だったため輸出はお付き合い程度にとどまっていた。
しかも、輸出国は東南アジア、車両はトラックなどが種であり、
乗用車の、しかも北米などの自動車先進国への輸出は、プリ ンス社内に輸出課ができる’ 58年まで待たなければならなかった(プリンスのあゆみより)。

 

ちなみに ‘ 58 年は北米&ハワイへ 13 台。’ 59 年はニューヨークとロサンゼルスのショーへ 3 台出展 +カリフォルニアへ 340 台、ハワイへ80台販売。
ただし性能面や価格面で米国車に太刀打ちできる状態ではなく、
‘ 60年には127 台と減少。’ 64年までに1641台が出荷されるにとどまっている。

 

果たして飯田さんの車両は、’ 59 年出荷車にカウントされるのか、
それとも’ 60 年に日本から出荷された車両なのか。
現時点では、後述するメーカーズプレートの訂正印が混沌とした当時の国産車輸出状況を表すだけとしかわからないが、飯田さんはこの連載中にその謎を解明したいと言う。

 

 

エクステリアの状態&国内仕様との差異点

右側通行に合わせた 左ハンドル仕様。
操舵 系のパーツ、たとえばアイドラアームなどは国内仕様とは異なるため、
それらをどう修理していくかが再生のカギとなる。


 

エンジンはすぐにでも目を覚ましそうなコンディション。
1900cc のGB-40型は80psを発揮。国内仕様では ‘ 61 年型より同型のエンジンを搭載。
91 psまで出力をアップした後、エンジン名称を G2型と変更し、
S40型グロリアなどに使用された息の長いエンジンで ある。
ブレーキマスターは外されているが、クラッチマスターのリザーブタンクに注目。
スチール製のペンキ缶ではない。樹脂の性能が低かった当時は、
これがリザーブタンクだったのだ。
余談だが、同年代のトヨタも同様のスチール容器を使用。
だが、クラッチとブレーキマスターのリザーブタンクは共用だった。


 

まごうことなきALSIELの1 型であることを表すメーカーズプレート。
不可解なメーカーズプレートである。
社名表記もすべて英語である。不思議なのが製造年の部分。
1959と打ってあるところをわざわざ消して1960としているのだ。
なぜ、わざわざ打刻して訂正する必要があったのだろうか。
日本でもし製造年を訂正するならプレートごと交換してもよさそうなものだが。
‘ 59年型を ‘ 60年型として売るため米国で訂正が必要だったのだろうか。


 

こちらのプリンススカイラインの再生完了は、
遅くともスカイラインの生誕記念60周年(2017年)には間に合わせる予定であるとのこと。

 

雑誌「オールドタイマー」にて、プリンスのデザインに魅せられた男による、現物をもとにした再生レストア作業の技法を詳しく掲載!

 

オールドタイマー

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