若手趣味人の選んだ理想の1台 トヨエース(1966年式)タフなトラックを日常使用する 

若手趣味人の選んだ理想の1台 トヨエース(1966年式)タフなトラックを日常使用する

 

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働けば働くほど豊かになり、頑張れば頑張るだけ明るい未来が見えた時代。

そんなエネルギッシュな世相を反映するのが当時の商用車だ。

ニッポンの高度成長期を支えた1台を今も日常使用に供するのは、関西在住の若手旧車趣味人であった。

 

 

トヨエースの2代目

効率、能率、堅牢、経済性、商売繁盛……。1960年代、トラックをはじめとした商用車のカタログにはこんな文句が踊っていた。クルマという耐久消費財が今よりずっと高価で貴重だった当時、商店主にとってトラックやバンはかけがえのない財産であり、まさに生命線。メーカー各社が訴えかけた使いやすさと堅牢性は、半世紀を経た現代でも日常使用するに耐えうるクルマを実現していたのかもしれない。

トヨタがトラックの市場に参入したのは第二次大戦前までさかのぼるが、本稿の主役であるトヨエースは、’54年登場のSKB型ライトトラックが直接のご先祖。トヨエースのペットネームが付くのは、SKB型発売の2年後となる’56年だった。TOYOTAの社名と、切り札などを意味するACEを組み合わせた造語で、一般公募により命名されたとされる。このペットネームはモデルチェンジを重ねながらも代々受け継がれ、2020年にダイナ系と統一されるまで実に64年も存続していた。

大阪府在住の相田泰章さんが愛乗するトヨエースは、’59年のフルモデルチェンジで誕生した2代目。このときシリーズ初の3人がけベンチシートとなっている。

当時の小型トラックの流行でもあった3名乗車実現のため、初めて採用されたコラムシフトをトヨタは「リモートコントロール」と称した。

キャッチコピーは「トラックの国民車」。現代ではおよそ考えられない汗臭さ、泥臭さである。もし今、「プラグインハイブリッドの国民車」「クロスオーバーSUVの国民車」などと請求されても、空気感を理解できる本誌読者くらいにしか響かないだろう。

 

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2代目トヨエースは当初、前モデルから継承するS型995㏄/33psエンジンを搭載したが、旧態依然としたサイドバルブのS型はほどなくして廃止。乗用車コロナ用のP型997㏄/45psに換装された。その後マイナーチェンジごとにP型エンジンの排気量拡大がなされ、最大積載量も増大させてゆく。


 

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’63年にはクラウンなどにも使われたR型1449㏄/60ps

エンジンを積んだ1.5t積みバージョンが追加となり、相田さんのトヨエースは改良2R型70psを搭載した’66年型である(P型エンジン系も併売されていた)。なお、2代目トヨエースは’71年まで存続し、最終型は12R型1587㏄/83psにまで拡大されていた。


 

 

フェローMAXで修行

相田さんは’91(平成3)年生まれ、まだ30歳の青年である。

地元大阪生まれの相田さんは、鉄道模型好きの父の影響で、まずは鉄道に興味を持つことから趣味の世界を歩み始めた。父が楽しんでいた、Nゲージのような大人の鉄道模型は高価で、幼心に“特別なもの”だと感じていたそうだ。

 

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父は父で、幼い相田さんを自身の趣味に巻き込むことにより、高い鉄道模型を買いやすくしていたフシがあるという。まあ、鉄道模型だろうがクルマだろうがバイクだろうが、お父さんが趣味を楽しむテクニックのひとつだろうか。

就学前からクルマも好きだった。それも昭和のクルマである。親戚などからもらうお下がりのミニカーが古いものばかりだったから、自然とそちらに興味が向いていったようだ。

小学校に上がってからも昭和のクルマへの興味は尽きず、専門誌や雑誌を眺めては自身が生まれる前のクルマに思いを馳せ、知識欲を満たした。もしかすると少年期の相田さんは、もはや体験することのかなわぬ“昭和”の残り香を、時代を映すクルマたちを通して嗅いでいたのかもしれない。

こうして相田さんは免許が取得できる歳になるまで、イマジネーションを強化することで旧車趣味人脳(ンなもんあるのか?)を醸成していったのである。

初めて実車の旧車を手に入れたのは2010年ごろ。ダイハツのフェローMAXだった。それ以前、乗るなら2ストの旧車がいいとおぼろげに考えてはいたが、候補に上がっていたミゼットは流通価格が高いし、たまたま見つけた走行6万㎞台のフェローMAXを入手したのである。現車はフロントにディスクブレーキをおごる上級グレードのGHLで、これを選んだことで図らずも旧車趣味人として鍛えられることになる。

というのも、上級ゆえブレーキ系統にタンデムマスターを装備しており(下位グレードはシングル)、生産期間もおよそ8カ月と短いこともあって絶望的に部品がない。そのアキレス腱とも言えるマスターがフルード漏れを起こした際は、純正品・流用品と探したが何ひとつ使えるものがなかったという。

結局は半年後、たまたまネットオークションで適合品を見つけて切り抜けたが、選ぶ車両次第でのちのち苦労の度合いが

変わってくること、時には根気よく待つことの大切さなどを痛感したのだろう。

そのフェローMAXは6年ほど乗って手放すことになった。そこから2年ほどのブランクを経て、いよいよトヨエースに出会うことになる。


 

 

初めてペットネームが付いた初代トヨエースSKB型(’56年)

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S型サイドバルブエンジンは、初期モデルの30psから33psにパワーアップ。2代目トヨエースの最終型(’71年)が83psだったことを考えると、’60年代にかけてのクルマの性能向上が目覚ましかったことが改めてわかる。


 

 

何とかなるやろ

トヨエースを入手したのは2年前の’19年。何もいきなりそこに行き着いたわけではなく、予兆はフェローMAXを入手する前に検討したミゼットの時点であったようだ。

以前より働くクルマ、とりわけトラックが大好きだった相田さんは、周囲の旧車趣味人にもトラック持ちが増えてきたこともあり、次の愛車候補としてトラックを探すことを決意していた。

ただし大阪の街中では大型トラックを持つのは困難だし、Nox法の制約もあるから選び放題というわけにはいかない。

 

大阪にいるから規制がかかるわけで、だったらと一時は県外転出も考えたが、冷静になると現実的ではない。そんな折に訪れたのが、本誌でもおなじみ静岡・浜松のタキーズだった。

同店にはそのころ、三菱ジュピターや日産クリッパー、同ジュニアなど何台かのトラックを在庫しており、相田さんはそれらを目当てに浜松に向かったのである。ただしどの車両でもNox法は切実な問題となってくるし、それをかわせる目算があったわけではない。

タキーズに到着した相田さんは、めくるめく旧車の世界に立ちくらみを起こしつつも、目当てのトラックたちを眺めては、ただひとつ登録の問題をどう切り抜けるかを考えていた。

ふと裏手を見ると、在庫リストにはなかったトヨエースが置かれているのを見つけた。スタッフに聞くと販売は可能で、しかも以前のオーナーにより排気系に触媒が装着され、ガス検もクリア済みの車両だったのだ!

まさに掘り出しものだった。外装は過去に仕上げてあり、車体の程度も申し分ない。ベースのトラックをNox法に適合させる作業を考えたら、こんな好条件はそうあるものではないだろう。相田さんは脊髄反射並みの素早さで契約書にハンコを押した。そしてつぶやく。

 

 

「ま、買うてもたら何とかなるやろ」

いつか欲しい、いつか乗りたい、いつか、いつか、いつか……。“いつか”はこの世界でよく聞くフレーズである。旧車を持つには当然ある程度のハードルが立ちふさがるが、いつまでも指をくわえて眺めるよりは、1歩を踏み出して楽しむ時間を増やしたいと相田さんは常々思っていた。そうした考えがあったがゆえの、北斗神拳のごとき捺印奥義を会得していたのである。

以来、雨の日以外はいつもトヨエースに乗る。スーパーやホームセンターへ買い物に行く際も使うし、通勤にも使う。

古くてもさすがに商用車、タフだから毎日乗っても全然へこたれない。加速はお世辞にも良いとは言えないし、高速走行も得意ではないが、大径のステアリングを握りコラムシフトを操作するとき、トヨエースはせわしない現代の時の流れを忘れさせてくれる。

かつての高度経済成長を支えた1台は今、その生来のタフさを発揮しながら大阪の街をのんびりと走り続ける。

 

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相田さんのトヨエースは’66年のPK41型、1.5t積みの標準トラックボディ。2代目トヨエースはマイチェンごとに少しずつ顔つきが変わっており、’65年のPK41登場時もグリルなどに小変更が施された。このほかにダブルキャブ、幌付き深荷台、パネルバン、シャッターバン、保冷車など多彩なバリエーションが用意された。


 

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エンジンはボア・ストロークが78㎜スクエアの2R型、1449㏄/70ps直列4気筒OHV。併売の1.25t積み車は2P型1198㏄/55psを搭載していた。3人がけシートの真下にエンジンが位置するため、まるでシートヒーターのような有様で、ラジエター付近の鉄板に皮膚が触れると火傷しそうに熱い。

 

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極めてシンプルな運転席からの景色。それでもクロームのホーンリング付きのステアリングには“粋”を感じる。働くオトコの必需品である、アッシュトレイ(灰皿)は’63年型でダッシュ中央に新設された。オリジナルのシート表皮はビリビリに破れており、クッションを載せて対応している。


 

 

当時物がお好き

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荷物を積みっぱなしにできるのもトラックの魅力のひとつ? 一方で、雨に濡らしたくない積荷や転がりやすい積荷の扱いに困る場合があるのも否めない。

相田さんは安易に樹脂製ボックスを使うことはせず、すべて当時物で固めている。

 

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バヤリースオレンジの箱には「なるべく69年8月末までにお飲みください」とあった。なんともユルい賞味期限だが、最近はフードロス削減の観点からこの時代に回帰しつつあるようだ?

カタログ、取扱説明書なども趣味人必須の品。中央のセールスマニュアルは販売店のセールスマン向けに作られたもの。本来は社外秘の資料だが、まれにネットオークションなどで入手できることがある。

 

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